協議する相手は政府高官から農村の女性まで。“途上国の人々の代弁者”
として活躍する開発コンサルタントとは?


途上国の開発には、さまざまな職種の人々が関わっています。


その中のひとつが、開発コンサルタント。
あまりなじみのない職業ですが、途上国支援においてなくてはならない存在です。


いったいどのような仕事なのでしょうか?
開発コンサルタントとして活躍中の河村陽二さんにお話をうかがいました。

河村陽二(かわむらようじ)


愛知県名古屋市出身。1978年生まれ。金沢大学工学部土木建設工学科を卒業後、静岡県庁に土木技術職員として入庁。10年間の勤務を経て2013年に県庁を退職し、開発コンサルタント会社に入社。初年度より「ミャンマー国少数民族のための南東部地域総合開発計画プロジェクト」に参加。現在は、ミャンマープロジェクトと並行して、「イラン国ゲシュム島の「エコアイランド」構想による地域のための持続可能な開発計画策定プロジェクト」及び、「スーダン国統合水資源管理能力強化プロジェクト」に従事している。


【専門分野】:河川計画、土木工事施工監理、コミュニティ開発、環境社会配慮

政府と地元住民の架け橋となり、双方にとっての最適解を模索する


――開発コンサルタントとはどのような仕事なのでしょうか?


河村さん(以下敬称略):国際協力には、あらゆる組織が関わっています。たとえば、国際機関(国連、世界銀行など)、中央省庁(外務省など)、国際協力専門の機関(JICAなど)、NGO・NPOが例として挙げられます。


これらの組織と途上国の間に入り、開発の支援を行うのが開発コンサルタントです。インフラ整備などのハード面と、組織・制度の整備や経済・社会開発などのソフト面の両方をサポートします。
私は現在、ソフト面の支援をメインに行っています。


現地では、政府の方向性と地元住民の意向が相違していることも珍しくありません。
そんなときは開発コンサルタントの出番です。政府の担当者と地元住民の両方から直接話を聞き、双方が納得できる開発計画を立てて実行に移していきます。
“途上国の人々の代弁者”とも言えるでしょう。

地域密着の土木技術員が、グローバルな開発コンサルタントに転身。その経緯は?


――いつから開発コンサルタントの仕事をしているのですか?


河村:33歳だった2013年からです。大学の土木建築工学科を卒業後、県の土木技術職員として公共事業や河川整備計画などに携わっていました。
もともとまちづくりに関わりたかったため、仕事自体はとても楽しかったです。しかし、発展途上国の支援をしたいという気持ちが以前から漠然とあったんですよね。


学生時代はバックパックを背負い、貧しい国々の実情を見に行ったりしましたし。ところが新卒のときは実務経験もなく、一歩を踏み出すことができませんでした。


開発コンサルタントの会社に転職したのは、10年間の経験を通じて自信がついたときです。
ネックになったのが英語力ですね、全然できなかったので。

30歳くらいから必死で勉強しましたが、今でも意思疎通に苦労することがあります。


――30歳を過ぎてからまったく新しい仕事を始めるのは、相当なチャレンジではないでしょうか。英語を身につけるとなればなおさらです。河村さんの国際協力に対する熱意がひしひしと伝わってきます。


途上国の開発のイメージって?


――開発をどのように進めていくのかを詳しく教えてください。


河村:相手国政府の担当部局や、現地の人々の意見を積極的に取り入れる参加型開発を行っています。


政府との協議に加え、農村や漁村などの未開発の地に入り、ワークショップを開いてニーズをヒアリング。それを開発計画に反映させていきます。トップダウンではなくボトムアップですね。みなさんのニーズは、産業開発、道路整備、学校、保健所、給水施設、電気など、国や地域によって異なります


ワークショップの参加者は、村長や委員長など、リーダークラスの方が多いです。なるべく広い範囲の声がほしいので女性などにも参加を呼びかけていますが、あくまで任意なので強制はしません。

――吸い上げた声をどのように活かしているのですか?


河村:意見を分析し、中長期的な視点を交えて開発計画を立案します。総合的な開発計画を策定し、その計画に基づいてパイロット的にプロジェクトを実施する場合もあります。


たとえばミャンマーの「少数民族のための南東部地域総合開発計画プロジェクト」では、住民から「まずは水道がほしい。今日の飲み水にも困っている」という声が上がりました。

でも私たちは、道路を先に敷設することを提案しました。なぜなら道路があれば水を含めて物流がスムーズになり、生活の向上につながると考えたからです。


――その後、道路をつくったのですか?


河村:いいえ。このときは水道の建設を優先しました。この村の水運びは本当に過酷で、40メートルも下の谷から女性や子どもが1日何往復もしている。これが女性の就労や子どもの教育の機会を奪っているのは明らかです。


太陽光を利用して谷から揚水し、各家庭の近くまで配水するシステムをつくりました。
その結果、「水汲み以外の家事に時間をかけられるようになった」「3日に一度だったシャワーを毎日浴びられるようになった」と村の人たちは大喜び。特に、子どもたちの笑顔は忘れられないですね。


コンサルタントの意見を押しつけてはいけないし、単なる御用聞きでも意味がありません。地道なディスカッションを重ね、最適解を導き出していく。ここが仕事のむずかしさでもあり、やりがいでもあります。

目の前の社会的弱者を救済しつつ、地球環境に配慮。
ミクロとマクロの両方からアプローチする


――ミャンマー以外でどんなプロジェクトに従事しているのか教えてください。


河村:スーダンの「統合水資源管理能力強化プロジェクト」では、環境を保全しながらナイル川の水や地下水を効率よく使う開発を行っています。スーダンの年間降水量は300ミリメートル以下と少ないのですが、政府の水資源管理は十分とはいえません。科学的な評価を行い、国民が安全な水へアクセスできるように開発を進めています。


イランの「ゲシュム島の「エコアイランド」構想による地域のための持続可能な開発計画策定プロジェクト」では、漁業、農業、観光などで島民が生計を立てていける仕組みづくりを推進しています。たとえば海藻の養殖、土産物用の手工芸品の品質向上、観光客向け博物館の建設などです。


この島には石油や天然ガスが埋蔵していますが、エコアイランド構想という名前の通り、化石燃料を原資とした開発は好ましくありません。環境への多大な負荷は地球規模の大きな問題です。開発の際は、そこに最大限の配慮をするようにしています。

――国も内容も多岐に渡っていますね。共通している仕事のやりがいは何でしょうか?


河村:子どもの笑顔が見られることです。たとえばミャンマーで学校建設に携わったときは、完成後に子どもたちが踊りを披露してくれたり一緒に写真を撮ってほしいと頼まれたりしました。


もともと恵まれない子どもたちの支援をしたくてこの世界に入ったのですが、今ではこちらがパワーをもらい、助けられています。


子供は環境を選ぶことが出来ません。子供たちが幸せに、のびのびと過ごすことができる環境を作ることが大人の仕事だと思っています。

――それは微笑ましいです! 苦労も吹き飛びそうですね。逆に、大変なのはどんなときですか?


河村:文化の違いに戸惑うことはあります。日本人の感覚だと、大事な会議があれば休日返上で出席しますよね。でも国によっては「土日は絶対に出勤しない」という考えの人もいる。そんなときには休日に働ける人を探したり、手当を出したりして対応しています。日本流のやり方を押しつけることはしません。相手の風習を重んじることが、この仕事では非常に重要です。


これは常に意識していて、たとえばイスラム圏でワークショップを開くときは、お祈りの時間を避けています。


――現地の方々を尊重する……。本当にそうだと思います。現状の開発計画には、どんな問題点があると考えていますか?


河村:社会的弱者への配慮が不十分だと感じることがあります。途上国支援は、経済発展に重きが置かれることが多い。GDPが伸びれば国が豊かになり、最終的に社会的弱者の支援になるという論理です。


ところが、経済発展の恩恵を受けられるのはせいぜい中間層まで。そこより上は高度な教育の機会を得てインターネットにアクセスして情報を得て伸びていく一方、下層の人々は十分な教育を受けられず格差が開くという結果になります。これを少しずつ解消していきたいと考えています。


――国と国民の双方が豊かになることが大切なのですね。今後、開発ではどんなことが重要になると考えていますか?


河村:環境への配慮がますます求められるのは間違いないでしょう。世界規模で考えるべき問題です。先進国がかつて行ったような開発をすれば、地球への負荷は計り知れません。環境を守りつつ途上国の生活を豊かにすることが、開発コンサルタントの役目です。


また、地場産業の果たす役割が大きくなってくると考えています。資源多消費型の経済開発ではなく、地場産業を活かした産業クラスターなどの振興です。これは、原材料に付加価値をつけてグローバル市場に出荷できることを理想としています。廃棄物を極力減らし、地元の雇用の創出にもなります。


――最後に、国際協力に関心がある方へメッセージをお願いします!


河村:興味があれば飛び込んでほしい。これに尽きます。
途上国の開発支援に関心はあるけれど、自信がないという人は多いのではないでしょうか。


しかし、専門分野の知識や技術がある程度があれば、経験を積むうちに自信はついてくるから大丈夫。また、スキルと同じくらい大切なのがコミュニケーション力、調整力、英語力です。困っている人の力になりたいという情熱を持っているのはもちろん、独りよがりにならずに関係者と協力し合える人に向いている職業だと思います。


開発コンサルタントに転身して、後悔していることはありません。強いて言えば、「20代のうちに英語を勉強しておけばよかった」「もっと早くこの世界に入ればよかった」ということ。若いときのほうが語学は身につきやすいし、始めるのが早ければ今頃はプロジェクトを統括する立場になっていたかもしれないと考えることがあります。
悩んで時間を浪費してしまうくらいなら、すぐにアクションを起こしたほうがいい。


これが、33歳で開発コンサルタントに転身した私からのアドバスです。


――興味深いお話をありがとうございました!


河村さんの活躍の場は途上国。ホテルのシャワーから水がほとんど出なかったり猛暑が続いたりと、日本とは比べものにならない過酷な環境です。でもインタビュー中はそんな苦労は微塵も見せず、仕事の魅力をお話してくださいました。


英語が完ぺきではないためコミュニケーションで苦労することがあるとおっしゃっていましたが、言葉で上手く表現できなくても河村さんの気持ちは現地の方々に必ず伝わっているはずです!
ますますのご活躍を期待しています。

取材・文/平田志帆
1978年生まれのフリーライター。正社員、派遣社員、契約社員、パート、日雇いアルバイト、フリーランス、独身貴族、専業主婦、DINKs、産休・育休、ワーキングマザーと、あらゆる働き方と生き方を経験。 勤務先の日本撤退を機に、33歳のときにほぼ未経験で歯科関連企業のインハウスライターに転職。35歳で出産し、子育てと両立するためフリーに。得意分野は、働き方、子育て、歯科。その他にも取材記事全般を幅広く執筆中。
ホームページ:http://hirata-writer.com/

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